それは小瓶のコレクション棚

学で教え始めてつくづく思うのは、学生からの質問に答えてゆくことが一つ一つ、自分の言葉という財産になってゆくこと。
 
音楽を作り出すときには自分の中で「その答えの海の中を泳いではいる」ので水の存在をさして意識しないが、それを言葉にする作業は、「その海の水を小瓶に詰めて渡す」ことに近い。
 
「中高生の合唱教育にコンクールは必要だと思いますか。」
 
「一度合唱を嫌いになってしまった子に出会ったらどうすればいいですか。」
 
「オペラよりミュージカルの発声の方が “硬く” 聞こえるのは何故ですか」
 
「あくびをするように歌えと言われたことがあるのですがどういう意味ですか。」
 
えっとそれはね、と話す瞬間に一つずつ、小瓶のコレクションが増えてゆく。
 
れから、「歌詞の引用とされている聖書の章節番号が手元の聖書とずれているのですが」というのがあった。
 
この謎は聖書の「新共同訳」の生い立ちにあるのではないかとの情報が、神学を修めている同業者、国友よしひろ氏から入った。
 
また、ラテン語のカトリック典礼文の「inexcelsis」の発音が複数あり、どれで歌うべきかについては、食堂で合唱連盟の副理事長であられる辻秀幸先生をお引き止めして質問。ものの見事なご回答をいただいた(内容は別の機会に)。
 
わからないことを高度な専門家に確認させていただく作業もまた、人からいただく水で新たな小瓶を作ってゆく作業だ。
 
は小さい方がいい。つまり、少ない言葉で説明できる準備があった方がいい。
 
それと、キラリと綺麗な方がいい。つまり、ちょっとした個人的な経験やおどろく事実を添えてあった方がいい。
 
瓶を小さくて綺麗にまとめておくほど、コレクションの棚は僕の財産になる。
 
ただアーティストをやる分には、カリスマを発揮してやりたいことを伝えてドカンと周りの人にやらせればそれでアートになることも多々あるだろう。
 
だから、人に分けられる小瓶のコレクションは教育者にとって必要な道具であって、アーティストに必要なものじゃないと思われるかもしれない。
 
も、パワーコーラスという音楽を作る過程では、音楽家ではない人や音楽家にはならない人から、高度な専門家まで、全ての人と持っているものを分かち合ってゆく。
 
アメリカのゴスペルがそうだからだ。
その音楽は、凄まじいプロのバンドと普通に日々を生きる音楽家でない人々によるクワイアーで出来ている。そのため、師であるMDストークスも含め、有能なディレクターという人たちは音楽家に伝える言葉と音楽家でない人々に伝える言葉の両方を備えていて初めてあの凄まじい音楽が作れる。
 
小瓶のコレクションは、教室でもスタジオでも、僕を生かしてゆく。
 

 
ところで、「あくびをするように歌えと言われたことがあるのですがどういう意味ですか?」については、興味があって85名の学生に尋ねたところ、40名以上が同様の経験があり、同様に意味がわからなかったという。
 
これは、「そういう質問が出る」ところに色々と問題の本質があって面白いのだが、またの機会に。
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