DUC “Still Alive” 危機を超えて

ロナ禍の中、「Still Alive」 と名付けたDUCのライブが終わった。タイトルの意味は「まだ生きている」だ。

僕は、人類が存亡を危ぶまれるほどの危機がそう遠くなくやってくることはある程度予想もしていたし、している。人類は地球に対してそれほどの無茶をしてきていると思う。

でも、その時が訪れた時、それでも人は集まって歌うことはできると思っていた。集まって共に歌い、祈ることでその時を乗り越えてゆくことこそ人類にとっての課題になると思っていた。

ころがこの危機は、まず人から「集まって歌う」という機会を奪い去ってしまった。気分はまさに、「Oh my God..(そんな、神様..)」だ。

最初は「みんな騒いでいるが本当のところ大した病気ではない」という情報を信じようとした。それは情報の質というより、この音楽にとっての危機感から、そう「信じたかった」のだった。

でも結局世論は、この病気がインフルエンザや福島の放射能汚染より恐ろしいものだと結論した。DUCは会えなくなり、僕は落胆した。歌の希望は閉ざされ、世界はこのまま終末への危機感で緊張してゆくのかと憂慮した。

かし、よく見れば、状況は思っていたものとは違ってきていた。どうも「地球が安堵し、一息ついている」らしいことにすぐに気がついたのだ。ある記事が「地球が、人類だけを閉じ込めることに成功した」と言っていた。地球を蹂躙する「人類」という種の足だけを、他の動物に迷惑をかけることなく、地球は止めてみせたということだ。

まさにその通りだ。「地球は自分の身を守る方法を知っているのだ。」と、僕は感嘆した。

また実の所、僕個人にもコロナ禍は有利に働いた。

音大講師元年がコロナ禍となり、一発目からオンライン講義をしてほしいという大学の要請に当初はがっかりしたものだが、始まってみれば、まるで音大の実技講師の中で僕だけがオンライン授業の準備ができているかのようだった。これは、DUCでのYouTube活動の準備をしていたためだった。

「オンラインでの合唱指導」という不可能にも見える難問だったが、学生からは大変な高評価を得て前期を終えた(大学は学生にアンケートをとって届けてくる)。これが、翌年さらに大きなクラスをお任せいただく要因にもなった。

だそれでも、嵐は嵐で別に起こっていた。
このタイミングでDUCに歪みが出始めていたのだ。メンバー間で問題について話して僕が至った結論は「会って歌わなければこのチームは成り立たない」ということだ。

DUCというチームを一つにしているのはギャラになる営業演奏でもなければ、僕のカリスマでもなければ、チームの実績でも将来性でもない。「会って共に歌う時間」、それだけだ。

もちろんオリジナルにせよカバーにせよ、DUCの「特色」や「強み」を聞かれたら「選曲」と答えはするだろう。でもそれは、「選曲こそシンガーが集まって歌う理由となる」という意味での特色だ。つまり、DUCを一つに繋いでいるのは、選曲が生み出す「会って共に歌う時間」なのだ。

主要メンバーの一人がチームを去った時、「DUCにはライブが必要だ」と結論した。

録画を送りあい、動画を作成した。
新人には録音を送らせて訓練した。

会える人数を確認し、小さなスタジオを押さえ、会い始めた。
新たなアレンジを書き、サンプルを作った。

もうすぐ会える。もうすぐ歌える。

少しずつ再開し、ついに全員が集まり、リハーサルを開始した。

らはできることをやりながら息を潜めていた。でも、DUCの音楽はまだ生きている。それを知ってもらいたい。
その思いを込めて決めたライブのタイトルが、「Still Alive-僕らはまだ生きている」だった。

結果的には、歌えない時間から本質を学ぶことになった。

ライブステージで歌えたことを、心から感謝したい。

MCで歌を伝え、DUCという素晴らしいチームの前でキーボードを弾くその時間、僕は生きていた。

このステージで歌えたことを、心から感謝したい。

 



その他のリポート:

http://dreamersunion.jp/news/still-alive-completed

 

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