神話の国・山陰紀行2 浜田から出雲

浜田:神楽の町


車は夕方の浜田市へ。昨晩もお会いした現地の寺井さん、光野さんが、DUCで訪れた際にも立ち寄った「しまねお魚センター」へ同行してくださった。そこではしっかりと、DUCトミーの歌うご当地ソング「どんちっち」が流れていた。彼女の名前こそ知る人も少ないかもしれないが、この町の人々はみんな、このトミー声を10年来聴き続けているのだ。トミーを連れてきた日に、寺井さんがその事実を知って声をあげて驚いた瞬間をよく覚えている。まったく、奇遇なことだ。

 


 夕食は、寺井さんが島根で演奏するミュージシャン達をいつも連れて行くという名店で土地の珍味をいただいた。
 その後、光野さんのおはからいで、石見神楽のリハーサルを見せていただくこととなった。今回、日程的に神楽を見る時間はないと思っていたので、思いがけず素晴らしい機会だった。小道を登った先の真っ暗な神社の境内に入ると、闇の中に音楽だけが聞こえて来る。木戸を開けると光が漏れ、男性たちが汗をかいて舞っていた。

浜田市も含め、石見と呼ばれるこの地域では神楽が盛んだ。後で聞いたが、浜田市だけでも60ほどの神楽団体(社中と呼ぶそうだ)があり、伝統的なものから社中独自の演目まで演奏しているという。その多くはどこかの神社に属している。

神社で神に奉納する舞と奏楽である神楽は、文化的な本質として、非常にゴスペルと似通っている。僕も神楽を少しだけ、中学高校で学んだことがあり、僕の中では常に黒人霊歌の持つ感覚と不思議に結びついていたものだった。



 ひとしきりのリハーサルの後、代表の方がお話をしてくださったが、浜田の町では、ちょうど関東の子供にとっての戦隊モノや仮面ライダーのように、子供達が神楽のキャラクターになりきって遊ぶのだそうだ。この日の楽器奏者たちも十代など若く、テレビで見る多くの日本の伝統芸能のような高齢化と存続の不安には縁遠そうだ。ちなみに、この神楽の音色を愛称で「どんちっち」と言い、「どんちっち3魚」は、この海の名産、アジ、のどくろ、カレイ のプロデュースのために付けられた呼称だ。トミーの歌うどんちっちはiTunesストアでどうぞ。

神事としての音楽は、心の活動と体の活動の融和だ。だから信仰のスタイルとサウンドのスタイルが切り離されることはない。日本でゴスペル指導者を名乗る人々の多くはそれを知らない。それで現在の日本のゴスペルでは、その重心がサウンドか信仰かどちらかに傾かざるをえないのだ。

 

水族館アクアス:白イルカの不思議な技

翌朝は早く発ち、水族館「アクアス」へ。ロゴがアクオスに似過ぎていて、昨今話題の盗作疑惑が心配になる。
僕は、近所に江ノ島水族館があるのに旅先で水族館は気が進まなかったのだが、妻と寺井さんの強い勧めで立ち寄ると、結局白イルカの見せる本当に不思議な技に感嘆。

イルカたちが人間に向ける心は、知性的な友情なのか、餌と教育による服従なのか、それとももっと高貴な精神から人間の憩いに付き合ってくれている同情なのか、思いを馳せる。

 



道端で数分、ムスメ生まれて初めての砂浜を楽しんで、車は一路、出雲へ。
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出雲:遠い記憶の都

平野の向こうに山が見え、その山の麓にある「何か」に流れが向かって行くように感じる。出雲が近づくと、体がピリピリしてきた。少し運動をした後の感じに近い。これがパワースポットやら言うものの効果かわからないが、駐車場で車を降りて参道に出ると尚その感覚は強くなった。
 しかし、到着したら食べようと決めていた出雲蕎麦の店を一つ見つくろって中に入ると、テレビがついていて、一旦体の調子が元に戻った。テレビでは「なんでも鑑定団」をやっていたのだが、最近話題になった石坂浩二のコメントが放送されない件を思い出し、まさに石坂浩二が無視されて番組が進行する様に憤りを覚えた。
 ここで、大変に勉強になったことがある。この番組の件は全く僕に関係ないばかりか内情も知らない赤の他人事だ。自分の体や心のフォーカスを一気に奪ってしまうようなこのような他人事に自分の心身が普段どれほど支配されているか、思い知らされた。くれぐれも、余計なニュースの数々に自分を日々浸すべきじゃない。

 店を出ると、勾玉を売る店が目立つ。出雲は今も昔も勾玉の名産地。そう言った店の何軒かに入ると、雰囲気と体の感覚が戻ってきた。やっと鳥居をくぐって社に向かう。ここの参道は珍しいことに、鳥居から本殿に向かって下っている。普通神社は登るものだ。山々を背負った社から流れてくる神話の空気が、この盆地を埋め尽くしているようだった。

 本殿の左右には、八百万の神が11月に集まった際に泊まるホテルにあたる社がある。今では多くの人が知っている通り、「神無月」である11月は、各地の神々が地元を留守にし出雲に集結するため、島根では「神在月」と呼ばれる。

 旅の目的地にふさわしいとても清々しい体験だったが、出雲大社全容は、見識のある別の方々が書く別のブログが多様にあると思うので省く。「古式ゆかしき」を愛する妻と、能天気なムスメは全てを楽しんでいる様子だった。

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撮影:こっさん

 

 

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 「この町は、いつかまた人が神話の時代が持っていた秘密へと帰ってくるのを待っているようだ」。僕はこの街を歩く中でそんな風に感じ続けた。


  何か、この場所に素晴らしい体験がまだ埋もれているような感覚に後ろ髪を引かれながら、僕は街を離れ、宿泊予定の松江へ向かった。


続く。
神話の国紀行3は、 松江から境港

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