地方 vs 首都圏/DUC浜田ツアー2023に寄せて

僕、DUCおよびそのバンドがあたたかい歓迎を受けた島根県は浜田市ツアー。
音楽家として一人一人のシンガーが歓迎され、リスペクトされ、耳を傾けてもらえる。
それはすばらしい時間だった。

言いづらいことを言うが、これと同じような時間を首都圏で手に入れることは容易ではない。ここに、地方と首都圏の状況がアーティストに課する、とあるジレンマがある。

浜田市は、羽田からANAのみ、1日に2便しか飛んでいない萩・石見空港が最寄りで、空港機能や売店が、その2便の時間帯にだけ開く。
学校や実際に神社で行われる神楽が盛んで、石見神楽は日本遺産にも指定されている。

前回浜田をワークショップで訪れた時、ツアーメンバーの1人だったトミーが、自分が浜田市の水産物のテーマソング「どんちっち」を過去に歌ったことを行きすがらに思い出した。現地に着くとさらに、その歌声が10年以上も街中のスーパーに流れ続けてきたことを知り、現地のコーディネーターさんも目を見開いて驚いたのだった。トミーもまた、名前までは知られていなかったとしても浜田市では一大有名人というわけで、今回、どんちっちもフィーチャーしての公演を依頼され、実際にコンサートでどんちっちを演奏すると「ああ、あの!!」と、会場は大盛り上がりとなった。

僕ら15名は平成天皇が泊まられたという老舗ホテルを用意していただき、最も長いメンバーで5日間にわたって滞在。朝食からとれたてのイカ刺しやのどぐろの焼き魚が出て、夕食の席には市長が訪れてくださって名刺をいただいた。
演奏やワークショップの会場では、声を合わせて歌うことの価値、人種差別の歴史との関連など、音楽の背景を話しながらサウンドを聞いてもらい、この音楽の深みに触れてもらうことができた。神楽という伝統をつなぐ街だからこそ通じやすかった側面もあるかもしれないが、僕のような合唱指導者とともに、マスメディア的にはほとんど名も無いと言えるシンガーたちの一人一人まで、全員まとめてこのような待遇をいただけることは首都圏では多くない。

その理由は明確で、首都圏には洗練されたアートがあまりにも多いからだ。そういうアーティストを目指す人々の人口も多く、その多くが優れた技術や個性を持っている。その中でこのようにお客様たちの情熱を得るためには、まず存在を「知って」もらわなくてはならず、すなわち…

目立たなくてはならない。

SNS上も、首都圏と同じことが言える。

その激しい競争の世界でのアートは、やがて目立つための尽力が本来の目的であるアートへの尽力を上回ってしまう危険を孕んでいる。また時に、目立つことそのものがアートだと思われてしまうことさえある(やっている自分でさえその区別がわからなくなってくることも)。

例えば音楽なら、カバーをやれば見つけてもらいやすいが、そのためにオリジナルをやる時間は削られてしまう、というようなことに始まり、細かいことまでもろもろだ。

そういうことは本来、アートをやるためにはともすると「無駄な努力」でもありうる。

地方に行けば、そういう「無駄な努力」なしにアートに耳を傾けてもらえる可能性が、少なくとも首都圏よりは高い。

さて、芸術を素直に受け入れてくれる浜田のような地方の街の方が首都圏よりも良い、と結論する気はない。なぜなら、そもそも僕らのアートが筋力を持っているのは首都圏にいるからだ。

DUCの一人一人のメンバーのような歌唱力を持った人間を10人集めようと思ったら、東京でないとまず難しい。まして、基本的に無償のバンド活動として集まろうとしたら仙台や名古屋のような大都市でも難しいだろう。
また、バンドのメンバーは長年の相方である佐藤由がオルケスタ・デ・ラ・ルスのメンバーであることを初め、ギターもベースも何かしらメジャーレーベルやキー局テレビなどでの演奏経験がある。
首都圏に住むミュージシャンたちは、ひしめき合う無数のエンターテイメントと自分たちのサウンドや能力をいやがおうにも比べざるを得ない状況の中で日々音楽を行なっている。

師ストークスは、かつてたった3年の在日期間にワーナーブラザーズジャパンやビクターでの音楽制作やゴスペルクラスの指導で大きなお金を稼いでいた。
が、在日期限の3年が近づき先行きの判断を迫られる中で、アメリカに帰る決断をした。
「日本では新しいオリジナルを作りださなくても、アメリカっぽいサウンドを作れば評価されてしまう。日本に残ったら自分はアーティストとしてはダメになってしまうだろう」と言い残した。

もし木島タローのアートこそが最高のものだ、と言ってくれる街があったなら、そこに滞在するのはきっと楽しいだろう。たくさんの生徒も集まって、生涯安定していい景色の中でいい空気を吸って暮らせるかもしれない。でも、自分をさらに上へと駆り立てる必要はない。必要がない筋力は必ず失われてしまう。

首都圏でいい。競争があるから挑戦者でいることができ、自分の小ささを感じることができ、自分のアートや、指導者としてのしゃべりの一つ一つまで見直すことができる。

でも、時に僕やシンガーたちを暖かく迎えてくれて、競争への神経質な尽力なしでも僕らのアートを評価し、耳を傾けて深く知ってくれる街を訪れて、自分たちがこの音楽をやっている自らに心から感謝し、安らげる数日があることは、アーティストにとって何にも変え難い未来への栄養になる。

神話の国に5泊の滞在の後に、昨日帰京。安らぎの時は終わり、今日からまた、厳しい首都圏で浅い呼吸を繰り返しながら自分を磨ぎ続ける時が始まる。


この場をお借りして、現地プロモーターの寺井弦さん、縁を作ってくださった中村智子さん、きめ細かによくしてくださったホテル松尾のファミリーのみなさん、その他お名前あげきれませんが、スタッフの皆さまや学校の先生方、出会ってくれた生徒たち、浜田の皆様に心から感謝いたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です