「モモ」、そして僕はワンダーランドに入ったきり。

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 木島タロー
国立音楽大学講師(合唱)
米海軍契約ゴスペルミュージシャン
Dreamers Union Choir ディレクター
一般社団法人パワーコーラス協会代表理事

ヒャエル・エンデの「モモ」に出会ったのは小5の時だった。それ以来僕はワンダーランドに入り込み、多分、戻ってきていない。


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分が何かおかしくなったと思うのは小学校2年生の時だ。1年生までは友達との関係に困ることもなく、親友がいて楽しく遊び、子どもらしかったと思う。


 アルコール依存の父と別れて逃げるように転職した母親の都合で、絶対に離れたくなかった学校と友人を離れ、母と二人、とある東京郊外の町に引っ越すことになった。僕は、この友達と別れてゆくなんてことは絶対にあってはいけないことだと思った。引越しの話をされた夜、桑畑の前の道で声の限りに泣き続けたのを覚えている。


越し先で僕が出会ったのは、残酷なほど閉鎖的なコミュニティーだった。東京郊外の町だったが、まるで今日テレビやネットで聞く「村八分」が現在も行われる辺境の村のようだった。転校生は疎外され、マンションとは名ばかりのみすぼらしい団地くずれに住む他の人々もひどく母と僕に冷たかった。

たに通うことになった小学校の作りそものものは引越し前の小学校とよく似ていた。多分多くの人が通ったスタイルの鉄筋3階建ての建物。左手側から日が差すように窓が貼られた長方形の教室。教室の後方にはランドセルを入れる棚と掃除用具ロッカー、正面に黒板があり、木を模した樹脂製の物差しや三角定規が立てかけてある。

夏は暑く冬は寒い三角屋根の体育館には舞台があり、その左には一文字ずつ木彫りのタイルをはめ込んだ校歌の歌詞がかけてある。せっかく覚えた校歌はもう役に立たず、新たな校歌を覚えることはやるせない作業だった。

の僕世代の子供がどうだかは知らないが、僕は小2以降、その景色の中に楽しい思い出は一切ない。僕以外の全ての男子がサッカーかドッヂボールに夢中であるように見え、彼らと遊ぶためには自分以外の何かにならなくてはいけなかった。女子は孤立した僕を憐れむように接した。一人の家に戻ればそこでは僕はチョロQとラジコンカーをいじることだけが幸せで(ファミコンよりそちらを好んだ)、外に出れば悪事を働くことでだけ世界と対等になれる気がしていた。

数少ない親しいと言える人間の一人は、のちに著名な版画家になった図工の先生と、もう一人はラジコン技術で全国に名を馳せた近所の模型屋のおじさんだった。二人ともひどい嫌われ者だったが、彼らといる時間だけが人と接している実感のある時間だった。

のころ僕に妹ができたが、生まれた頃には父親であるはずの男性の姿は消えていた。どうやって母が見つけてきたのかわからないが、少し離れた場所にあるちょっと変わった家がベビーシッターとして小さな子供を預かっているとのことで、ちょくちょく幼い妹を預けに行くようになった。ある日、その家から母が借りてきたと言う本が「モモ」だったように思う。
 
教科書以外の小説というものを真面目に読んだ記憶はその頃が初めてだが、「現実と非現実の世界が通常の道路でつながっている」という世界観に僕は引き込まれた。

 世間に馴染めない変わり者の主人公「モモ」に生きる意味を与えてくれる変人(マイスター・ホラ)が孤独に暮らしている異世界。それが、距離的にはちょっと遠いのだが、歩いて確実に到達できる場所にある。変人としか分かり合えない子供であった自分をモモに重ねたところが大きかったろう。


「モモ」をその家に返す時だったように思うが、僕はそのベビーシッターの家を初めて訪ねることとなった。
 
そこは、テーマパークの彫像などを作っていた彫刻家の家で、その奥様が蔵書家だった。部屋中の壁に天井に届く高さの本棚が立っており、目一杯に本で満たされたその一室で子供を預かっていた。部屋は、本を貸し出す私設の図書室として近所の人に開放してもいた。

彫刻家というものも初めて見たし、なんだかちょっと現実離れしたその図書室と、小説の登場人物の名前で呼ばれている猫が二匹、常に部屋をのたくっている様子とが、しばらく僕に冷たい現実世界を忘れさせてくれた。

モモがおもしろかった僕は、その部屋で同じ作家の「はてしない物語」を見つけて読み始めた。この物語もまた、普通の子供が日常から非日常へと地続きで入ってゆく話だった。もちろん僕は夢中になった。

ころでその家には娘が二人いて、上の姉が「自由の森学園」という風変わりな学校に通っており、下の娘も今年受験するという。

 現実世界に馴染めなかった僕を「このまま普通の中学校に行かせてはダメになってしまう」と考えた母が、この彫刻家の娘たちが通うという学校に僕を連れて行くことになったのは、自然な流れだったのだろう。

ごとにドアを手で開けるタイプのディーゼル列車(80年代当時でさえ首都圏では全く珍しかった)に乗ってたどり着く木造の小さな駅。そこからさらに路線バスに20分揺られて周りに何もない川沿いのバス停に降り、そこからさらに川を渡って坂を登りながら15分も歩いた山の中に、その変わった作りの建物があった。そこは近代的な建物ではあったが、360度をそこより高い山に囲まれた閉鎖空間だった。

芝生がはられたその学校の土手に座り込んで僕は2時間近くもぼーっとしていたと思う。母がその時間に何をしていたのか記憶にない。なぜ自分がこんな場所でこんなに長い時間ぼーっとしていられるのかを自分でも不思議に思いながら、「僕はここに帰ってくるだろう」と確信していた。

 その後、得意だった木工を入試の一芸として受験しこの奇妙な学校に入学することになった僕は、この学校でさえ教室が苦手で、結局、保健室という場所へ流れ着いた。

 そこには、そこに居着いていた十数人ほどの生徒たちのコミュニティーがあった。腰まで長い茶髪で革ジャンを着た高二のバンドマン。手首を切り慣れた様相の高一のギャル。スポーツ刈りでドテラを来た高三の女子。ひたすら漫画を描き続ける中1、三つの演劇サークルに属して台本を読み込む中二。彼らは保健室を拠点にこの学校を生き、自分の興味のある授業の時間になると出かけては帰ってきた。僕はその一員となった。

陸続きの異世界に、僕は入り込んだのだった。

は例のドテラの先輩からギターを習い、年上たちの入る演劇サークルに顔を出しスタッフを務めた。以来6年間に僕が出会って挑んだものは、手品、合唱、小説書き、マンガ絵描き、アカペラ、ピアノ。合唱以外は全て授業でさえなかった。自分の心がときめく何かを一つずつ追いかけることで、偏屈なキャラクターが周りから許容され、この異世界の住人である人々を友人とし、他人と過ごしたり、他人と何かを作る時間に満たされていった。

して大学は音楽大学へ。卒業すると黒人教会に通うバンドマンへ。やがてプロとして生計を立てるようになっていった。

あの時から今日まで、「自分じゃない何か」として社会から見られながら生きる日を想像したことがない。

 あの冷たい小学校の記憶から歩き出し、抜け出して地続きのワンダーランドへ。

 あの日「モモ」と一緒にそこに入り込み、今日まで、僕はそこに生き続けている。


 

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