「共に歌えさえすれば・・」自由の森を作った男の記憶

 Mr.Yutaka-Endo-遠藤豊
 歌って生き抜け_表紙_Small
 木島タロー
国立音楽大学講師(合唱)
米海軍契約ゴスペルミュージシャン
一般社団法人パワーコーラス協会代表理事


ぐれものだった僕が現実世界で生きてゆくことが出来るようになったのは自由の森学園があったからで、その学校を創立したのは、遠藤豊という人物だった。
 
育関係者の間でこの名前を出すと、明星学園という学校から始まってどうのこうのという教育者としての歴史があるらしいが、特にその人を知っていて入学したわけじゃない僕にとってはただのバーコードハゲの大人で、ルックス的には校長という人種のステレオタイプの印象だった。
ただし、あまり長話をしない人間だった記憶がある。
 
彼のことを悪くいう生徒の父母が身近にいて、父親が芸術家で母親は活動家だった。遠藤豊はわからず屋の権力者だと言って、特に母親は自分こそが声をあげて自由の森を改革するといきまいていた。
 
藤さんは「現場に出る校長」で、物理だか地学だったか、理科系の科目の教師だった(自由の森では、教師は苗字+さんかニックネームで呼ばれる)。それが予算の都合で働かなくてはならなかったからなのか、好きで現場に出ていたのかはわからない。僕が中一で入学した年に初めて6学年揃った自由の森は、まだ黎明期だった。
僕は高一だったか高二だったか、1年間だけ、彼の授業を受けた。
 
のクラスにズー(仮名)というアホがいた。小柄だがサッカーがめちゃくちゃにうまいハンサムで、善人ではなかったが裏表のない性格で誰からも愛された。僕も彼が好きだったが、ただしかし、ひたすらにアホだった。
 
遠藤さんが、地球内部の構造について話したある授業のときだった。
 
地球内部の温度が6000度でそこでは岩や鉄が溶けて液状化している、という話をすると、ズーが遠藤さんに声高に話しかけた。
 
じゃあ全部溶けちゃうじゃん。」
 
キョトンとなるクラス。
 
「ん?」という顔で遠藤さんはズーを見た。
 
「鉄が溶けちゃうほど熱いんでしょ? そしたらその周りが溶けて、全部溶けて、地球全部溶けちゃうじゃん。」
とズーは自分の座っている椅子とは別の椅子に足を投げ出しながら言った。
 
「アホだ…」と僕は内心思った。小二ならともかく、高校生の発想じゃない。世の中の工場でどうやって鉄を溶かしてると思ってるんだこいつは。
だがズーは自分の疑問がしごく当然だと思っていたのだろう、ドヤ顔にも見える混じりっけのない眼差しで遠藤さんを見ていた。

 

印象的だったのは、「間」だった。

遠藤さんはズーに対応するのに、その質問から全く間を置かなかった。ズーの発言が終わった直後には「ふむ」と頷いていた。
さらに間髪入れず、遠藤さんは全くそれまでと変わらぬ口調で続けた。
 
「じゃあ、冬の布団を考えてみよう。」
 
ズーは遠藤さんを見つめて、まだわからない顔をしている。
 
「寝ていると中はあったかいよね? 外は寒い。内側からは寝ている君から出る暖かい熱がある。でも外は寒いので布団の外側まではあったかくならない。わかるかな?」
 
僕の記憶では、その時ちょうどチャイムがなって授業が終わり、ズーがその話を理解したかどうかよくわからなかった。
 
僕はその瞬間に、遠藤さんという人を噂で誤解してきたと感じた。
ズーの見解に呆れも驚きもしなかったこと、答えがいつもの口調ですぐに紡ぎ出されてきたこと、その2点が不思議と僕に強烈な印象を残した。「この人になら自分もどんな質問でもできる」と感じた。
今思えば、それが教育者としてのこの人の「器」だった。
 
れが「子供に数字をつけない学校」の理想を追い、自由の森を作った人物だった。
この人が、「校則や制服や成績評価などなくても、全員が共に歌える環境さえあれば子供たちがバラバラになることはない」という考えを持っていたことを、僕は卒業した後で知った。
自由の森の合唱を聞いた人の多くは、「こういう自由な学校だからこういうパワフルな合唱が生まれるのだろう」と考える。でもそれは逆だ。この合唱があるからこういう教育現場の存在が可能になる。
 
藤さんが亡くなって久しいが、彼が人類の社会的な法則について的を射ていたことが今はわかる。近年、人類社会は歌うことによって維持されるという内容の論文がオクスフォードの研究機関から出ている。
また昨今、僕は彼の思いを一部継いでるのだと感じるに至っている。
 
僕が遠藤さんと1対1で話したのは、夜中の職員室に忍び込んで友人3人ほどで飲み会をしてバレた翌日だけだ。僕一人だけが校長室に呼ばれた。
 
「他の2人が、鍵を開けたのはタローだと言ってるんだよね。」
彼は特徴的な東北訛りで言った。
 
「どうやって開けるの?」
それが、この件に関して彼から僕へのたった一つの質問だった。
 
鍵を開けられたわけではなく、両開きの薄い木製ドアの片方をちょっとたわませて留め金を外したのだが、それを職員室のドアまで一緒に行って実際にやってみせると、彼は興味深げに「なるほどね」と言って、それだけだった。なお、後日ドアは直された。
 
なみにズーだが、その後南米に渡り、ある国のサッカーのユーストップリーグで得点王になった。

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第5章「命のコーラス / ヒーローとワルが共に歌う歌」関連

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黒人霊歌集:

One Comment
  1. ラボ教育センターから『ひとつしかない地球』が発刊されたとき、同僚のラボテューターが企画してくれた木島さんのワークショップ(@国分寺)を受けました。選曲が母校の音楽の授業で習った曲と同じだな〜奇遇だな〜と嬉しく歌っていたのですが・・・自由の森30周年のひな壇でお姿を見て、気づきました。同窓生だったんだ!って。豊さんがそこにいるようなエピソードも楽しく読ませていただきました。またご縁があるといいなと思っています。

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