2014年度で終了した東京経済大学の身体表現が、2016年度に復活する。
さあ、半年前からしようと決めていた、僕を涙させた人々についての自慢話をしなくてはならない。
この授業は、ゲスト講師であった故ネイザン・イングラムと授業の担当教授だった山崎カヲル名誉教授が二人で作り上げたものを、ネイザンの急逝に伴い僕が引き継いだものだ。
担当教授だった山崎カヲル先生のご定年に伴い、この授業がなくなると知った時、学生たちは、そんなことはさせない、と言って動き始めたのだ。その時、学生たちが何をしたのか具体的には知らない。
僕が口を出してはいけない件だったのだ。
僕はこの授業からもらったものも多かったし、この授業を受け持つのに僕は向いているとも思っていた。でも、雇われたゲスト講師に過ぎない僕の口から学生に、「この授業をなくさないために動いてくれ」とか、「なくさないためにはこういう風にしたらどうか」などと、一言でも言えるわけがなかった。自分の仕事を得たいがために学生たちを動かすようなマネは許されない。
学生たちが動いているのは知っていたが、「その話は僕にはしないでくれ」と言っていた。辛かったのは、学生たちの代表が授業の継続を大学のどこかの部署に訴えて撃沈し、泣きながら帰ってきたのも知っているのに、「僕はこの授業を続けたいよ」とさえ、学生に言えなかったことだ。
それでも彼らは動いた。この授業をとった卒業生や、学務課やその上の誰か、この授業があるべき枠を「喰っている」と思われる他の教授にまで働きかけたというのだ。
でも、来年の授業の大枠はかなり前から決まっているし、この授業を担当したり継続したがっている教授がもういないという事実はほぼ致命的で、傷もつかない石の壁に人の爪を立てているようなものだったはずだ。彼らは玉砕し、何もできなかった、と肩を落とした。3年生も、2年生も、来年この授業を取ることはない。ネイザン時代から20年も続いてきて、多くの学生たちが2年も3年も連続して履修してきた授業は、消滅した。
6月のこと。山崎先生退官の後一年だけ臨時で授業を受け継いだ大榎先生からご連絡があった。次年度、次々年度と、大学側の意思としてこの授業を復活させたいというのだ。文面には、大学側が検討を重ねた結論であるという前提の中、学生たちの働きかけについて言及されていた。
なんということだろう。大学のような堅固な組織をこのように動かした学生たちを現代に見たことがない。彼らが何をしたのか、今も詳細には知らない。でも彼らの顔を思い出せる。やるだけやったがという悲壮感ある幾つかの顔。中には、必ず何とかして見せられるという確信にあふれた顔。
この授業は思い出深い。ネイザンの助手を10年務めたネイザンとの思い出の場所。DUCの現行メンバーのうち4人や、DUCを旅立ち今も成長するシンガーたちを生んだ授業。
この後ずっとこの授業を続けますと言われたわけではないし、僕の人生もどうなるかわからないから、3年後のことはわからない。
でも、この授業が一度途切れた年、2014年度の学生を僕は忘れない。
東京経済大学の身体表現「ライブを作る」、2016年度、復活です。
※この記事がどちらかのご迷惑になる可能性も考えましたが、あえて載せました。