ジャマイカ-アンバランスの謎と答え/そのゴスペル事情

ジャマイカという国を見る機会に恵まれ、音楽文化と経済の奇妙なバランスを目撃してきた。少し、レポートしたい。
(Special Thanks to ジャマイカ人ゴスペルシンガー、ジョン・ルーカス。)

首都キングストンの街は、永遠に修理されることのなさそうなコンクリートの建物が華やかなペンキで塗られ、手書きのアルファベットで商品名が書かれた商店が並ぶ。通りに並ぶ店の半分は車関係のビジネスに見え、何をするともない大人たちがシャツも身につけず立ち尽くしている姿も目立った。

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IMG_5728(野良ヤギがうろついていた)

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発展途上国はメキシコとシリアを訪れたことがあるが、途上国特有の雰囲気で、日差しも街並みも奇妙に、遠く離れているはずの(在りし日の)シリアを思わせた。
 経済状態や治安に関する印象が、なんとなく日本でいう昭和30年代くらいの感じじゃなかろうか、などと考えた。
それとやはり、暑い国は寒い国に比べ、全般に建物の作りに鈍感なように思う。

会場リハーサルに先立って、ボブ・マーリーの奥様が購入したという伝説のリハーサル/レコーディングスタジオ、タフ・ゴングを訪れた。

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ボブ本人が弾いたというピアノが、日本の常識では考えられないほどオープンな状態で置いてあり、スタジオ付きのガイドさんが、どうぞ弾いて良いという(とはいえ、音の出ない鍵盤が多かったが。)。

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リハーサルスタジオは、簡素なものだった。楽器が置いてあるだけのステージだ。ジャマイカの若きミュージシャンたちのために使われているという。

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ツアー参加者の男性の一人が、僕の耳元で、「日本に比べればかなり汚いですよね」と言った。確かに、壁も楽器もかなり古ぼけていて、その意味では汚かったが、僕はちょっと違って感じた。
 床がきれいで、ケーブルもきれいに流れていた。楽器は確かに古ぼけているが、日本では考えられないほどいろんな人に使い込まれた結果なんじゃないか。これほどに使い込まれた印象の楽器が、しかし傷などは少なく現役でこうしてあることは、むしろ日本より大切にされているんじゃないか。街を見た時の印象と比べてこのスタジオは、なぜか安心して見られる清潔さがあった。

ちなみに、キーボードは当たり前のようにヤマハとKORGで、日本が電子楽器大国でもあることに改めて感謝だ。
そのあと、レコーディングスタジオも見せていただいた。

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ボブ・マーリー現役時のミックスエンジニアだという年老いた中国系ジャマイカ人が、まるで住み着いた幽霊のようにスタジオ内を「漂って」いた。ちらっと出してくれた最近のものだというレコーディングの音に、同行のドラマー由くんがえらく感動していた。レコーディングスタジオ内の撮影は許可されていなかった。

 このような街全体の経済状態と音楽の先進度とのアンバランスな印象はこの後からも続く。

 1日目のリハーサルと翌日の本番の会場は、学校の体育館だった。

 もう昔の話ではあるが、シリアで見たキーボードはほとんどカシオでペダルはなかったし(それでも日本製ではあったが)、ギターはチューニングがどうやっても合わなかったし、家庭のピアノのクオリティもひどく低かった。経済水準と教養が必要な西洋アートの水準はリンクするものなのだと感じた。それで、今回のジャマイカツアーでの楽器や音響については心配して臨んだ。

 体育館の壁は、壁というより網に近い穴開きブロックを積んだものが基調で、外気を完全に通す南国ならではの作り。築年数も相当経っているように見受けて、早速音の心配は始まった。

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 しかし、キーボードはヤマハのMOTIF 72鍵、十分プロの使用に耐える楽器で、スタンドもぐらつかず安定していた。ドラムにはマウントとシンバルにやや難があり修正に時間を要したものの、音は問題ないように見えた。音響技師はきちんとマイクのチューニングを行い、その様子は日本の技師とあまり変わらなかった。後で聞くと、ジャマイカで最高のエンジニアだという。このセットで日本でコンサートをやっても問題ないと思えた。

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 翌朝は教会の礼拝を、コンサートの宣伝のために3つ回るという。礼拝3つと、リハーサルと、本番。気温は日本人の僕らにとっては残暑程度の陽気で、すべての会場に冷房はなし。夏がニガテのの僕には思いやられた。

 最初の教会は、ジョンの父親が建てたという高校と併設の教会。

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人はびっしりだ。ジャマイカは基本的に黒人の国で、観光客以外の白人にはツアーを通してほとんど会わなかった。歴史には後で触れる。

 さてこの日は土曜日。そう、ここはSeventh-day Adventist(SDA)の教会で、神が6日で世界を創造した後休んだと言われる「安息日」である土曜日に礼拝を行うのだ。これがジョンの宗派でもあり、僕も、SDAのピアニストを日曜の礼拝と連日でしばらく務めたことがある。その時は、2〜3家族で行う小さな礼拝だった。

 僕らが知っている多くのキリスト教会は、キリストが復活した日である「主日」つまり日曜日に礼拝を行う。

 SDAは日本では少数派で、時にカルト視するクリスチャンさえいるが、僕の知る限り教義にも信徒にも、他のクリスチャンより妙だというところはない。ただ、食べ物には他の宗派よりうるさくて(聖書に従っているだけと言えばそうなんだが)、食品会社も傘下に構えていたりする。

 この一つ目の教会では、楽器はアップライトピアノが一台あるのみ。調律は予想より悪くない。

 日本人クワイアーの来訪は熱烈に迎えられた。

 次の教会に移動する間にジョンが、バスの右手にそびえる山の山肌に高級住宅街が並ぶ様子をさしながら、ジャマイカは貧富の差が激しいと説明した。

 二つ目の教会も人でごった返していた。ヤマハのスピーカー付きキーボードが一つあり、初老の女性がオルガン音で弾いていて、ピアノ音で弾く僕のためにペダルを接続して用意してくれた。

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それでも普段使っていないペダルのききは悪く、演奏はやや混乱してしまった。
 教会のある界隈はゴミで汚く、野良犬は痩せていて、ほったて小屋の商店というか屋台が並んでいて貧しい町に見えたが、子供はiPhoneで音楽を聴きながら歩いていた。まったく、この辺のバランスがどうなっているのかよく分からない。

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 3つ目の教会は、これまで見た中でももっとも貧しく見える街の中にあった。商店らしき建物が通りにあるのだが、鉄格子で、お客と思われる人は、まるで銀行の受付のように鉄格子ごしに店主と話し、欲しいものを指差してとってもらい、小窓からお金を出して商品を受け取る。

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 無理矢理路地に入れた観光バスをとめ、教会に入ると、うって変わって礼拝の晴れやかで賑やかな空気だった。十代中心のユースチームと思われるクワイアーが歌っていたのだが、これがそれなりに上手だ。クワイアーの和音も、指揮者も、伴奏のピアニストとオルガニストもしっかりしており、十分なクオリティーがある。

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 このようなスラム街にこのくらいのレベルの西洋音楽の知識の入った音が響いているのはちょっと不思議だった。通常、西洋的な芸術文化度と人の経済状態はもう少し比例していると思っていた。西洋音楽の実践には教育が必要だからだ。なお、ここでもジョンのクワイアーは熱烈に迎えられたし、ジョンもまた行く先々で、長く離れていた親戚の子供が戻ってきたような扱いで熱く、暖かく、迎えられた。

 帰りのバスに乗り込んで、窓を開けて鉄格子商店の写真を撮ろうとしたのがいけなかった。窓から、物乞いの親子に声をかけられてしまった。全く、このような時にどう考えどう行動するべきか未だに答えがない。母親と思われる初老の女性は、現地方言「パトワ」と思われる言葉で早口に話しかけてきた。手にはボール紙を持っていて、ちらりと見せた表面には、「OMEGUMI」と書いてあった。その隣にいた12歳程度に見える男の子は、綺麗な白いシャツを着ていたが、明るい笑顔で、英語で話し、「ジャマイカはきついんだよ。お金、お金はあるかい?」と聞いてきた。明らかに慣れた様子で、「プロ」の物乞いと思われた。なんであれ、彼らが本当に貧しいことには変わりないだろうが、この時は、お金は出さない決断となった。このような状況に毎回適用できる正解としての行動などあるのだろうか。
全く、僕の失敗だった。
「出せないよ。」と、僕が表情に困りながら答えると、母親の方が僕の手に軽く手をコツンと当てて、二人は意外と明るく軽やかに去っていった。これが、ジャマイカのキャッチコピー、Jamaica No Problemのスピリットなんだろうか。

 ところで、土曜日だから、今日回った教会は全てSDAだ。僕はこの国でのSDAの力強さに感心していた。そういえば、僕が演奏していたSDA礼拝の従軍牧師も同じ中南米のハイチ出身だったが、中南米で強いのだろうか。

 バスは、ジャマイカ名物「ジャークチキン」の店に向かった。煙で蒸して辛いソースと甘い揚げパンとともに食べるジャークチキンは、日本人にとってのラーメン屋のような、庶民グルメ的存在だという。

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 ペッパーソースは日本ではお目にかからないほど辛いが、香りが良く、甘い揚げパンと食べると抵抗なく胃まで入った。スーパーに行けたらこのソースを買って帰ろうなどと思いつつ、テーブル正面のジョンに話しかけた。大切な会話になる。

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「ジョン、貧富の差について話していたが、あの山肌に住む豊かな人たちは主に何をしているの?」
「何かしているというか、彼らは、土地や事業を所有しているんだ。お金持ちだから富が持ち続けられるというより、お金のせいで子供に教育を受けさせてあげることができるから、代々安定しているんだよ。」
なるほど。
「でも、貧しくても必死で勉強して脱出することはできるはずなんだ。だが、貧しい子供達の多くは、自分は貧しい出身だからどうせできないと思っている。」、とジョンは少しその状況にイラついているように言った。

僕は、次の質問に移ったつもりだったが、二つの質問は完全にリンクしていた。

「SDAはここでは随分大きいんだね。」
「ああ、多分ジャマイカでは一番大きな教会だ。」
「日本ではそうでもないだろう?何か理由があって中南米ではこんなに大きいのかな?」
「教育を提供しているからだと思うよ。」

ジョンのそのさらりとした答えにはインパクトがあった。
「ふむ。貧困層にも?」
「無料というわけにもいかないが、できるだけ貧しくて払えないとう人の問題を解決しようとはしているし、今回のツアーもそういうチャリティーコンサートなんだ。」
はあ、なるほど。
「ジョン、それは絶対このツアーに来ている人たちに改めて話したほうがいいよ」
「え、話したからみんな知ってるよ。」とジョン。
いや、どうかな。
案の定、後でバスの中で何人かのクアワアーメンバーにこの話をしたら、「そういうことか! やっとわかった、素晴らしい!」といった反応だった。確かに、SDAの教会には教育施設がつきものだ(日本にも、三育学院というのがある)。
人々に希望を与えるということを、単純に教義として語るのではなく、実際にシステム化して行なっているということであり、それが、公共の教育機関が発展していない途上国で大きな役割を果たしているということなのだろう。

 汗だくのリハーサルを経て、コンサートが始まった。1stステージが終わると、2ndステージには地元のゲストアーティストが登場した。そのアーティストたちはなんと予定していたリハーサルに現れず、はたして本番に現れるのかどうかさえ危ぶまれていた。南国ゆえのいい加減さなのか、本番にだけ現れ、演奏していった。

しかし、僕はここでも面食らうことになった。

そのゴスペルチームたちが素晴らしかったのだ。やっているのはアメリカのゴスペルのヒットナンバーなのだが、日本のアマチュアグループが足元にも及ばない、素晴らしいクオリティーで演奏していた。クオリティーとして、アメリカでちょっと調子がいいチームと遜色ないか、それ以上だった。経済水準とアートの水準がこうも奇妙にアンバランスなのだ。

 



そうか。
僕はここで謎が解けた気分だった。

 彼らは、ジャマイカの音楽を歌っていなかった。彼らが出していたサウンドはアメリカのゴスペルのものだし、カバーはアメリカのヒットナンバーだった。テレビをつければアメリカのCNNで、バスの中ではジャネットジャクソンがかかっていた。僕らは、このツアーを通して、ジャマイカ特有の音楽にほとんど出会っていなかった!(教会ツアーの中、レゲエを聴く機会はなかった)。

 ともにアメリカから近いカリブ諸国でも、ハイチはかつてフランス占領下にあったせいでフランス語、同様にキューバはスペイン語だが、ここジャマイカは、かつてイギリスの植民地だったせいで、英語圏だ。言語が同じということは、ラジオ、テレビ、雑誌、そしてヒット曲を共有できるのだ。経済的には先進国とこれだけの差がありながら、文化的にはアメリカと共有しているから、アートや情報の面についてだけは、まるでアメリカのもう一つの州のように機能しているのだ。そのせいで、この経済とアートのこのアンバランスが生まれているのだ。しかも、主にボブ・マーリーを生んだせいで、アメリカからも文化圏としては尊重されている。
 経済は発展途上国の経済なのに、アートは先進国のもの、それがジャマイカだった。

 ちなみに、ドラマーはオープンハンド(通常とは違い、右手でスネアを叩き、左手でハイハットを叩くスタイル)。いかにも、レッスンではなく、耳で聞いて覚える人々のスタイル、という印象だったが、もう少し会話して状況を聞くんだった。

教会からのお客様が多かったコンサートは、これらのアーティストの2nd ステージが終わるまでにエキサイトし、すっかり礼拝の様相を呈していた。思いのほか演奏時間が延びた他のアーティストたちにやきもきしながら、ジョンはこの後ステージに戻る3rdステージの作り方に悩んでいた。文化交流か、教会の礼拝か… 日本大使も来ている中難しい判断だったが、結局礼拝的な空気を保ちながら熱いコンサートは盛況に終わった(残念ながら演奏しながらは撮れないためジョンのクワイアー及び僕の演奏の動画は手元にない)。

 翌朝はマンデビルという高原へと移動。粗末な小屋の並ぶ道を少し過ぎた先にある高級住宅地に足を踏み入れ、ここに、現在のジョンの両親の家があった。ジョンが恵まれた出身であることがわかる。

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 ホテルの部屋は、バンドとシンガーズに限りちょっと問題があったのだが、それは別の機会に触れたい。

 そのあと、この日のコンサート会場となる大学へと移動。これは、SDAが運営する大学で、国内最高の教育水準を持った大学の一つだという。入り口には「Circle of Knowledge」という像があり、女性の像が学位証を掲げ、男性の像が聖書を掲げており、それがこの大学の象徴であるという。大学が放送局を抱えており、地域で最も力を持ったラジオ放送を行っているという。99%がクリスチャンというこの国で、SDAは本当に大きな力を持っているのだ。それもこれも、教育に力を入れていることが大きいように見受ける。

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 大学の放送スタッフたちが取り仕切る音響にはやや難があったが、なんとかコンサートは無事に進行。ところで、キックドラムには、低音を出すため、という見たことのない工夫があった。SONY DSC
 この日のゲストアーティストにも素晴らしいチームがあった。僕は早速そのチームのキーボーディストに声をかけたが、この夏にニューヨークツアーを成し遂げたグループだという。オリジナルも大変に良かったし、アメリカの現代ゴスペルと並べても十分に先進的で、信じられないほどタイトな訓練を積んでいるように見えた。 なんとも、ジャマイカのゴスペルのクオリティーには恐れ入ったものだ。

 

 コンサートの後、軽食を食べて僕は疲れ果て、電気のつかない寝室のベッドで眠り込んだが、由くん含め何人かは夜通し騒いだらしい。
 
 翌朝7時半にホテルを発つと、Great Riverの川下りを楽しませてもらった。このツアーでわずかな観光の時間だった。

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 そのあと慌てて、僕らは空港へ直行。その道中で初めて海、カリブ海を見た。モンテゴベイという町には驚いた。ここには貧困の跡がない。よく整備された観光地だった。
  ああ、思えば、僕らがジャマイカと言って見せられる景色は、これのような気がする。町には土産物屋や観光客、日本でいう海の家が溢れ、ココナツの木々で飾られた道は、楽園の様相を呈していた。ここには首都キングストンのごった返した街並みも、マンデビルの貧富の差も見当たらない。
 この街を最初に見ていたら、僕はジャマイカを勘違いさせられていたかもしれない。しかし、旅程の最後のモンテゴベイの賑わいは、ジャマイカの仮面に見えた。でもそれはきっと、ジャマイカという国が国全体としてなりたいと憧れる姿を映したものなのだろう。

 さて、バンドとシンガーズは、海には入れずに帰らなくてはならない強行スケジュールだった。ああ、触れてみたかったカリブ海。すると、バスが止まった。「今日帰るバンドとシンガーズだけ降りて、海に触れてください」とのジョンの配慮で、僕や由くん、侑華などの6名がはしゃいでビーチの砂を踏んだ。たった5分、カリブ海の水に触れた僕らは、その暖かさと柔らかさに触れて、不思議なほどの満足を得て、空港へと向かった。


 見渡すサトウキビ畑と、そこから取れるラム酒、アルミの原料となる赤い土、盗電と盗水、先進国で使い古された中古車の市場と、ストリートで信号待ちの車にバナナや土産品を得る子供達。親子の物乞い、鉄格子ごしの雑貨屋、貧民街の中で教育を提供してくれる教会に集まる人々の礼拝の声、貧しい人々が目的なく行き交うストリートと、それをはるかに見下ろす高級住宅街。ゴミが好き放題捨てられて汚れた都会の川と、そこからは想像もできなかったほど美しい海。そして街並みの経済状態からは想像できない音楽の先進性。南国の楽園としてカリブ海で泳いで帰ってくるだけでは見逃してしまったかもしれない多くのものを見ることができた。

 これら全ては、自分の国と自分の日々を見直す目をあたえてくれる。
 
 二つの中継地を挟んで24時間かけてたどり着き、35時間かけて帰ってきた。長い飛行機と、情報の洪水と、休みなく演奏した頭で疲弊した心身は、成田に降り立って、氷が溶けるように柔らかに崩れた。

 由くんが成田の長い廊下を見て「整然としてる」とつぶやいた。確かに、まるで日本の整った建造物が今は魔法のように見えた。
 

 なお、中継地のマイアミで、僕は誕生日を迎え、日付変更線を超えたフライトの中で、2015年の誕生日は瞬く間に過ぎ去った。祝ってくれたみんなにThanks!
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a. ツアー概要:
 今回は、ジャマイカ政府の学生派遣プログラムによってジョンがジャマイカを出国してから15年目の記念の凱旋ツアーということで、ジョンが日本各地で指導する200人の生徒の名から、希望した20名ほどと、バンドと、選抜バックコーラスであるJLシンガーズ(うち1名はDUC侑華)、スタッフを加えた30名ほどでのツアーとなった。バンドとシンガーズは現地4泊(中継地1泊)での弾丸帰国。クワイアーメンバーたちは美しきカリブの観光を含めた6泊。
ドラムには当然のように相棒、佐藤由。

b.ジャマイカの歴史概要 :
先住民族であったインディオは、ヨーロッパからの移民によって虐殺されて全滅。その後、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人が労働力となって開墾し、サトウキビを主な農産業とした。奴隷の解放後、白人たちは出て行き、黒人を主とする国家となる。ここ数百年で住み着いた人々による、大変新しい文化圏だということだ。

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