国立音楽大学の合唱講師を拝命して5ヶ月が経過。といっても、出勤回数はこれまでわずかに4回。
新型コロナ肺炎感染拡大防止のための外出自粛要請にて、4月は大学開講見合わせ。
5月半ばからの「オンラインでの授業」を要請されて、開始。
音楽大学の教育科。僕の合唱を受講した学生たちの多くは教員免許を取得し、一部は教育現場で合唱を実践してゆくことになる。音楽大学、つまり、音楽の最高学府だ。そのレベルの合唱を、会うことなしに指導することなど本当に可能か。
甚だ疑問、となるところだが、僕は実のところある程度の準備ができていた。クリスチャン風に言えば神の、一般風に言えば運命の、「導き」という他ない。
昨年のハモネプ出演で一気に数千人のYouTube の登録者数が増えて以来、DUCは活動の足場をある程度YouTubeに移すことを考え、配信の実験をし、機材を整えてきた。これは、「2016年問題」と呼ばれる首都圏の会場不足でライブの場所探しが難航していたことや、自主ライブの負担が増えてきていたことが大きい。
録画を充実させるための個別録音や編集方法の概要も、2月までにおおよそ確立していた。その後、DUCも毎週のリハーサルで会うことは停止した(今日現在はまだ復帰していない)
オンラインでの授業を依頼された時、僕の心構えは教育者というより、「フリーランスのミュージシャン」だった。無茶な依頼というのはあるものだ。黒人を50人集めてくれとか、ワイヤレスマイクなしでフラッシュモブでバンド付き演奏してくれとか、1週間以内にアレンジと録音を仕上げてくれとか、その度に課題をクリアすることで次の仕事への強さとしてきた。
今回もできる。
大学教育レベルの合唱教育を、まだお互いにさえあったことがない、入学以降学舎に足を踏み入れてもいない学生に施すこと。
YouTube Live、Zoom、個々のスマホ、しかるべき教材と録音素材を駆使して、それは必ずできる。
「歌の国立」とまで言われた名門大学で、音楽の専門家を目指そうとする46人の学生に対して合唱教育を行えること、そして、それにふさわしい人間として選んでもらうことは幸せなことだ。知っている世界が音を立てて崩れてゆく中で、環境に文句を言っている場合ではない。
シンプルな曲から入り、用意したサンプル音源から「何を聞くべきか」という耳を育ててゆく。毎週学生を選抜して課題としての自撮りを提出させ、成長してゆく状態を学生自身に確認させる。耳の成長がそのまま音の成長につながる。
そうしていよいよ全員提出での作品制作に入る。7月からは対面レッスンが始まるが、そこで実物のお互いに出会う直前に完成したのがこの録音だ。
本当にこれが携帯電話のマイクと思えば、大した音が撮れるものだ。インターネットと精密な録音録画装置が誰の手の中にもあるこの時代だからこそ可能なものだが、今という時代をフルに活用して生きることは、これだけ急速に変化する世界と向かい合うに当たってあまりに大切なことだ。
ゲストシンガーにナタリーを迎えるのは、学生には秘密だった。少なくとも、自分たちがその一部であることを誇りに思える一曲になったと思う。
おそらくまだまだコロナ嵐は続く。その中で、人が集まって共に歌うという文化をやめるという選択肢はない。できることをやる。