僕は自分の能力が最大限発揮されるフィールドがアレンジだと思ったことはない。
が、ハモネプ以来、やはり多少景色が変わった。
アレンジで100点という点数をもらったことで、僕も自分のアレンジ能力というものにフォーカスが行った。結果、とても大きなお仕事も任せていただくことになった。
僕は自分を器用貧乏と思ってきた。
ピアノも弾く、歌も歌う、アレンジもする、作曲もする、英語も話す、打ち込み(プログラミング音楽)もやる、MCもする。教壇にも立つし、アーティスト活動もする。
どれも、パワーコーラスという一つの文化のために必要なことだが、どれ一つ、匠の位置でない。そう感じてきた。
思えば、国立音楽大学のリトミックという科を受けた時に始まっていたのかもしれない。
僕は作曲科を受けたかった。でも決意から1年で作曲科は(少なくとも当時は)目指せなかった。そこで教育科の中でも、声楽、ピアノに加えて、作曲、即興演奏を学べるというリトミック科を選んだ。アコースティックギターでフォークしか弾いたことがない僕にはそもそもそういう基礎的で広範な訓練が必要だった(結果的にリトミック科は僕にとって最高の選択だった)。
在学中にレコード会社のプロデューサーに出会った時も「どんなスタイルの曲でも書けることが自慢のようだが、君独自のスタイルが見えなければ売りようがない」と言われた。
僕はそもそも、一つに長けるより何でもできることに憧れていた。
僕が中学生の頃、「Dragons & Dungeons (通称 D&D)」という卓上ロールプレイングゲームが流行った。僕は遊ぶ相手をあまり見つけらず、プレーヤーとしてはほとんど活躍できなかったが、資料を夢中で読んでいた。
ゲームの中で「人間」は、戦士か魔法使いかなど職業を選ばなくてはいけなかったが、人間型の妖精である「エルフ」は、戦士でかつ魔法が使えた。ただし、レベルは10までしか上がらず、それ以上にはいけない。無限にレベルアップしてゆく人間とは違う。
僕はそれでもエルフを選んだものだった。
何でもできる、というキャラクターに自分を当てはめたかった。
自分が何でもできると信じたかったんだと思う。人は自分が存在するのに理由が必要だ。
他の子供とうまく関わることができず常に孤独だった僕にとって、「自分は何も持っていない。その代わり、あいつらより何でもできる」と信じたかったということなんじゃないか。
だから、情熱的に一つに卓越する、というビジョンより、あくまで「何であれ、周りのあいつらよりよくできる」という証明を持つことにすがりついたんじゃないか。
今回テレビでアレンジを褒めてもらったので、「ああ、そうなのか」と僕自身思ったところがある。
それはまさかこの歳でいまさら自分の能力を見つけたということじゃない。世の中が、自分の「何なら見ているのか」という点にふと気づいたことだ。
先日、あるお仕事で著名作曲家の井上純氏とお話しさせていただいた時、「ミュージシャンというのは条件付けを厳しくするほど力を発揮する」と言っていらした。
まさに、アレンジとはそういう作業で、人がその楽曲に対して持つイメージを損なわず、かつ、演奏者(おおかたDUC)のパワーを最大限に引き出す、というがんじがらめの中で作業する。自由発想から始まる「作曲」とはかなり違う作業だ。
作曲には「無い道を作る」喜びがあるが、アレンジには「あるはずの道を見つける」喜びがある。
冒頭に書いた通り、僕は自分の能力が最大限発揮されるフィールドがアレンジだと自覚したことはない。