時に黒人霊歌の代表のようにさえ言われる楽曲、「We Shall Overcome」。
ボブ・ディラン、ピート・シーガー、ダイアナ・ロス、ジョーン・バエズなど、名だたるアーティストによって歌われ、キング牧師の ”I have a dream” に次ぐ2番目に有名な演説のタイトルにもなっている。
黒人奴隷たちの民謡である黒人霊歌には、発祥や作られた時代からして基本的に著作権は残ってない。が、中には権利関係が曖昧な曲もあるので、自分の講義にWe Shall Overcomeを使用するにあたって調べる必要があり、ある情報に行き着いた。
なんと、この曲の著作権について決着がついたのは2018年のことだった。
この曲の「出どころ」はやや複雑なのだが、民謡というものは常にそういうものだろう。
まず、19世紀に活躍した黒人の聖歌作家、チャールズ・ティンドリーの聖歌「I’ll Overcome Some Day」が元曲であるという。出版は1901年で、通常のルールでゆけば1925年以前に出版された楽曲は自動的にパブリックドメイン(公用=権利者なしの楽曲)となるため、この楽曲そのものは著作権フリーだ。
しかしこの曲、現在知られている We Shall Overcome に似ていると言うほどに似てはいない。サビのメロディーには現在のバージョンの面影が少しあるが、We Shall Overcome とは違って3拍子だ。
さまざまなアーティストに歌われ知られるようになった現在のバージョンが最初に登場したのは、ピート・シーガーというミュージシャンが労働者のために刊行していた楽曲集「People’s Song」に1947年に載ったもののようだが、その曲はジルフィア・ホートンという別のミュージシャンがシーガーに持ち込んだもののようで、そのホートンは、サウスカロライナ州のタバコ農園で黒人労働者の活動を率いていた女性指導者、ルーシー・シモンズが労働者たちに教えていたものを聞いてきたのだという。このルーシーが I’ll Overcome Some Day をもとにこの労働歌を作った可能性があるが定かではない。
さて、ラドローミュージックという出版社が、ピート・シーガーの名前を共著者とし、楽曲の権利を認めるよう訴えを起こした。1960年のことだ。こうすることでシーガーの死後70年までは著作権が守られることになる。ラドローミュージックは黒人活動家を育てたテネシー州の学校でこの曲を教えたのが始まりだと主張し、この学校の教育を継続するための資金のためという名目で楽曲の著作権を主張したが、シーガーは結局自分の名前を訴えから外させた。
60年にも及ぶ長い係争の末(訴えた人々もほとんど存命ではないだろう)、ついに連邦裁判所が「この曲は著作権フリー」というハンコを押したのが2018年のことなのだ。
ティンドリーは奴隷と自由人(奴隷ではなかった黒人)のハーフで、奴隷たちの間で育ったというが、作曲者が明確で民謡には当たらない彼の元曲を黒人霊歌と呼ぶかというとちょっと難しい。20世紀の黒人労働者たちの間で自然に生まれてきたとしても、奴隷制が終わって以降のことなので、この点でも黒人霊歌と呼ぶには、他にそう呼ばれる楽曲群とちょっと質が違う。
それが黒人霊歌と呼びうるものかどうかは意見が分かれるとしても、はっきりしていることもある。
この曲をDUCがアメリカから招聘した往年の黒人シンガー、レディー・ウォーカーとともに歌った時、彼女が僕らに穏やかに、しかし重みを持って語ったことがある。
「この歌は、長い時間にわたって私たちの民族を支えた。奴隷解放から黒人の権利のために闘った時代よ。だから、敬意と尊厳を持って歌ってもらいたいの。」
歌とは誰のものだろうか。
もしこの世にお金というものがなかったら、歌は、その歌を歌う人の心の中で「その人だけの財産」になる、と僕は考える。
「夕やーけこやけーの、赤とーんーぼー」という歌が、幼少期にみんなと歌った楽しい歌の思い出になるか、優しかったが他界した祖母の寂しい思い出になるか。
それを口ずさむことも、口ずさんだ人の心に何が起こるかも、作曲家にコントロールできることではないし、すべきことでもない。
地球の人類に無事未来があり、今よりずっと人の心が成長し、誰一人飢えず、誰もが幸せに暮らす日がやってきたら、その社会の中で、おそらく著作権という考え方はなくなる。
歌を書く能力のある人々は、心から歌を書いては空中に解き放ち、受け取った人々がそれぞれにそれらを歌い続け、歌は徐々に形を変えながらそれぞれの人の心の中で財産になってゆく。著作権法などなくても、書いた人の名が知られることさえなくても、誰もがその歌を書いた人に敬意を表し、感謝する。
これが歌の未来の姿であると僕は考えるし、少なくともそれが歌の「原始の姿」でもある。
歌は、その歌によって救われた人の宝物になる。書いた人のものや、まして「占有物」などではない。
その歌を「作った者」やその歌を「管理する者」の態度が、その歌を大切に思って生きてくれる人々の中で、歌をげんなりと枯らせるようなものでないことを願う。